うっかりボーッとしておりまして、今日ようやくブログ更新させて頂きます。ただボーッとしていただけで、私自身も親族も無事に過ごしております。…なんて変なタイミングで安全宣言しなくて済むように、定期更新しなくては、ですね。←ひとごとみたいな書き方?本当にボーッとしていたので不動産に関係ない話題ですみません。せっかくログインしたので一記事分書きますね。
私自身でも親族でもない方ですが、ご実家が少し被災したという方がおられて、『大変な時だからこっちの心配は不要ですよー。』…って言って一旦は落ち着いたのですが。『寄付金も、知ってる人に対する分については直接手渡す方が良くない?』って話が持ち上がり、みなさん既に義援金を払っておられるであろう分も考慮して、少額ずつカンパすることになりました。
集まったとして、『何と言って渡す?』という話になり、『カンパなんだからカンパだろう。』とか、『漢字じゃなきゃ。見舞金でしょう。』とか、『寸志って書いてある方が大人じゃないか?』なんてことを話し合っている最中です。大切なのは気持ちですし、封筒に中身が入っていれば良いのだし。多数派の意見に従えばいいかなーなんて思う、自分の意見を持たない私でした…。
ここ数年間、天災で甚大な物的被害を受けた仲間への募金というのを同じ集まりで二度経験しました。とても文章の上手な先輩が呼びかけ文を作り、早々に予定額を上回る額が集まって寄付してきたとのことでした。二度目について事前に相談がありました。『実は予定の二倍もの額が前回で集まっていて、多すぎるから半分だけ渡して残りをプールしてるんだ。そのまま今回渡していいとも言えるけど、前回寄付してくれた人の承諾が必要かな?』
あの文章を読めば出さなきゃって思う人も多いだろうし、そりゃあたくさん集まっただろう…とか。それだけ人とお金を動かせる力を持ったら、色々出来る気がするのかも知れないな…とか。逆に予想以上の大金が一気に手元に集まって怖くなってしまったのかも知れない…とか。色々思いました。色々思うところはあるけど、先輩に説教できる立場ではありません。
その時にひらめいた単語が、『謙虚』。誰が誰に対して謙虚になるべきなのか…といった形の主語述語もなく、ただ『謙虚』という単語が浮かびました。『色んな方々の善意の前で、私たちは謙虚であるべきと考えます。寄付金に対して、謙虚な気持ちで接するべきだと思います。』肯定も否定もせず、持論を理詰めで納得させようともせず(だいたいこの分野では先輩に敵いません)、たまたま思いついた『謙虚』という単語を使って何か感じて頂くことだけを期待しました。
そもそも集まり過ぎが原因でこんなに気疲れしたのであり、それに懲りて、今回は少額での呼びかけとなりました。さて、封筒に何と書きましょう?私は『カンパ』派なんですけどね。少数意見のようです。カタカナだと筆ペンで書きづらいってのもあるし、やっぱり漢字でしょうか…。